はじめに
おはようございます こんにちは
拙ブログ「まどろみみっくろん」の書き手です。魚戸ホタルの友でもあります。
4/23に簡潔に作成した人生年表、続きましては高校生時代~大学生時代です。
幼年期~中学生時代については下に示した記事にざっくり書いているので気になる方は参照願います。

さて自分の時代は高校生、大学生、派遣会社と進みますが、順風満帆とは往きません
風に気づいていなかった、気づいても墨で見えなくしていたのでしょう
派遣会社とは大学に訪れた採用担当者と面談し、内定をいただきました。
ただこれまでの人生で入社するのに面接を通過した経験は一度もございません。
アルバイト経験はあるんじゃないの
経験はありますが、派遣会社であり日雇い、面接不要でした
現在の職場も2019年3月に社長と新大阪のカフェで紹介され、プログラミングスクール卒業後の6月に入社を決めました。
つまり人柄が評価されて一緒に働きたいという評価を受けたことのない人間です
社長からは2年間の成長を認められており、5月には月給が2万円あがります
ただ自分がどれくらい社会に貢献できているか可視化できていないのが悩みの種
なぜ面接が受からなかったのか、今の職場が居心地よく思い続けられるのか
やはり過去に鍵をしまっています。
それでは高校生時代~派遣社員時代までの自分年表を簡潔に書きます。
高校生時代(15歳~17歳)
高校生時代は何となく付いていった時代、自分にとってリスクが少ない選択を取っていた時代だと思います。
2010年に家から一番近い高校を受験して合格し、4月に入学します。
入学した後に男子卓球部に入部します。
入部した理由は同級生に知っている人が多く気持ちが楽だったからです。
大会にも有るから出るような、特に大きな結果を得たいと思わずに楽しんでいました。
その癖 結果が出ている選手に絡んでいたので迷惑だっただろうなあと思います。
今なら相手の感情を煽って反応を楽しもうとするのは趣味が悪いので行いません。
ラケットに貼ったラバーはTSP社の裏ソフトラバーでした。
スピードドライブ、ループドライブの回転を掛けることが出来ていました。
しかしサーブの回転は練習してもコツがつかめずに、サーブした後に強くはじき返され反応が追い付かなかったことがあります。
毎年6月に開催される文化祭では割りばしを使った姫路城築城、タコ焼き販売、ワッフル販売に取り組みました。
どんな役職だったか覚えていない ただクラスの皆と案を出し合ってイベントを作るのが楽しかった。
2012年1月15日~1月18日には北海道へ修学旅行に行きました。
スキーでは数年のブランクがあるのにあえて初心者コースより1段レベルの上がった難しいコースに行き素直に初心者コースに行けばよかったと思いました。
雪に嵌ってしまい集合写真に映り損ねました。スキーをしていた写真はございます。
札幌への観光もして白い恋人の製造工場を回ったり、味噌ラーメンに舌鼓を打った記憶があります。
球技大会・体育大会 特に語ることはありません
うっかりといえば当時モンスターハンターポータブル3(通常MHP3)が流行っていました。
学校に持ち込むのは規則違反なのに休み時間に一狩りに行って、見つかって没収された経験があります。
テストでいつもより高得点を取って取り返しました。
何となくで過ごしていたものですから、特に大学で何を学びたいかと言えばレゴ遊びの経験からモノ作りを学びたいという感じで漠然としていました。
当然受検勉強に熱が入らず、独りで勉強した時間を合計すると1週間もないのではと振り返ります。
なんだかんだで大学には合格しましたが、大学生活は4年間もあったのに印象に残るエピソードがあまり浮かばない生活になります。
それでは大学生活をざっくりと振り返ります。
大学生時代(18歳~21歳)
2013年4月 大学入学
学部学科名は工学部 機械工学科です。
サークル活動は最後までしませんでした。
理由はよくわからない それでいい
後で就活に持ち出すエピソードが少なくて面接が通らない原因の一つになりますが、面接に通るような人間だったら魚戸ホタルと会えなかったと思いますので まあいいか
大学では広義の空いた時間に図書室で本を読んだり、ビデオルームでナショナルジオグラフィックやプロジェクトX、海外の映画を見ていました。
記録しておけばよかったのですが、OneNoteを用いた日々の記録も思いつきませんでした。
アリやイルカの生態、VHSや東京タワーの誕生秘話、ローマの休日等を見て当時抱いた感想を紹介できないのが残念です。
図書室では銀河英雄伝説との出会いがありました。
本伝・外伝を全巻読んで、アニメ(OVA本伝、外伝)も定期的に見返しています。
登場人物の群像劇が魅力的で一番好きなのはワルター・フォン・シェーンコップさんですね。
他にはフョードル・パトリチェフさんも好きです。
体格も大きくヤンを支えて頼りになる人物で、女・酒といった人生の嗜みに妥協していないのが好きです。
自分が苦しい時に恰幅のいい人に守ってもらったことが多いので体格の大きさに安心感を持つ傾向にあります。
好きなアニメを1本選ぶならと聞かれると「銀河英雄伝説」と答えます。
エンジニアリングプラクティス
2015年4月~2016年3月にかけてエンジニアリングプラクティスという講義でミニバイクのエンジンを作りました。
3DCADソフトを使って部品の設計図を書き起こし、班の全員で材料を加工して作った部品を組み合わせて2ストロークエンジンを作り上げるという過程がチームでモノ作りするのは楽しいという感覚を生み出しました。
自分はシリンダーが入るケースの作成を担当しました。
作業服を着て、主に旋盤・フライス盤を使ってケースの造形を行いました。
2ストロークエンジンの詳しい構造を知りたい方は以下リンクの確認をお願いいたします。
2ストロークエンジンの構造、4ストとどう違うか[内燃機関超基礎講座]
2ストロークエンジンをミニバイクに組み込み、実際に燃料を入れて点火すると排気音が鳴りました。
最初は走り出しませんでしたがエンジンの位置を調整することで走り出しました。
楽しかったです。経験になりました。
研究室
2016年4月~2017年2月の間 大学生活の仕上げ 卒業研究に励みました。
研究室では高強度鋼板の抵抗スポット溶接で発生する疲労強度の研究に取り組みました。
研究室を選んだ理由は担当教員と退学しようか迷ったときに相談したことがあり、人柄を知っていたためです。
講義の成績によって研究室に入ることが出来る優先順位が決まりますが、自分は卒業研究以外卒業に必要な単位を取得していたため、特に問題なく入ることができました。
研究にはESIグループの溶接シミュレーションソフトSYSWELDを使いました。
抵抗スポット溶接は自動車車体の組立溶接で最も多く使用される溶接法であり、動作を知りたい方は以下リンクの確認をお願いいたします。
https://mitsu-ri.net/articles/resistance-welding
研究室では全員が集まってPowerPointで作った資料を使ってプレゼンテーションを行い、進捗度合を確認しました。
自分だけではなく他人の研究も確認できるので自分の研究とつながる箇所を発見できたり、指摘を受けて見直しを行うこともあり役立ちました。
就活も並行で行い、20社ほど受けましたが全て2次面接まで進むことができませんでした。
準備不足と責めればいいんでしょうけども、企業に入って仕事をするということがどういうことかよく分からないまま就活を始めたからだと思います。
今は仕事をする理由は、より人生を楽しくする選択肢を増やすためだと考えています。
当時から名が知られている大企業に抵抗感があり、関わる部品で業界トップクラスのBtoC企業に絞って就活していましたが、おそらく働きたくないと思われたのでしょう それでおしまい
だったら起業と呟いたこともありますが、アイデアも積み上げもなく、早速ツッコミを受けて修正しました。
結局2016年10月まで内定が決まらず、これで最後にすると決めて派遣会社の採用担当者と面談しました。
その結果一回で内定をいただきました
11月には内定式に行き、同期と知り合いました。
就職先が決まったことで気持ちが楽になり後は卒業研究の発表まで一直線
2017年2月に卒業論文を発表し、成功して最後の単位が入りました。
2017年3月に大学を卒業し派遣会社に入ります。
大学生活については以上です。
卒業後
卒業した後に派遣会社に入社し、就活の時に抱いていた大企業への抵抗感の正体を知ることになります。
そして小規模の企業の方が適応できると判断し、現在の職場に落ち着きます。
ちなみに大学生時代、派遣会社時代に追加した連絡先はすべて削除しました。
3年以上連絡しておらず、思い入れもあまりないためです。
今ある連絡先は母父祖母祖父、TECH::EXPERTの同期、職場の先輩方、行きつけの理髪店・歯医者だけです。
これからどんな人と知り合うのか楽しみにしています。
最後に
自分自身 24歳まで人生を始めていなかったと思います
だからこそこれから人生が面白くなると確信しています
根拠なんてなくてもいい
日々是好日 今がより好きになれるように暮らす
24歳の前後で派遣会社を退職するという一大決心をして現在の職場の社長と知り合い、TECH::EXPERT 51期生という形でプログラミングスクールに通い始めて人生の軌道修正をすることになります
TECH::EXPERTの話は6月下旬にできればと思っています
2019年の6月にスクールを卒業してから現在の職場への入社を決め、7月から働き始めます。
働き始めた後は特に発信活動を行っていませんでしたが、自分のスペースに魚戸ホタルが入ってきました。
彼についての話を膨らませるのはすごく楽しい
彼はイカになりたい ふわふわ浮かんでいる 自分軸で楽しく生きる術を教えてくれている 眺めてて面白く 好き
そんな彼の居場所を作りたいと思っても不思議なことだと思いませんでした。
魚戸ホタルがいる現実も当たり前のように受け入れています
自分が生き続けたいから 推しの居場所を作りたい
プログラミング言語を使って居場所を作りたいというのは不純な動機ではないでしょう
以上になります。
それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。
ほたー