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うおとホタル 孤独について書き出してみた

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ほたー おはようございます こんにちは

魚戸ホタルが7月29日の獅子座新月が明けて戻ってきました。

リフレッシュ休暇して元気が戻ったようで良かったです。

さて今回は「孤独」について考えてみたので記事を書き起こしました。

金曜日の昼過ぎ、自分に怒る声が頭を巡ってイライラしていました。怒鳴り声が響く職場ではありません、自分の妄想でそうなっていました。そこで集中方眼紙ノートに孤独について書き出しました。すると作業に集中でき、定時までに済ませることができました。書き出さないままだったら先輩からの指摘にも上の空になっていたことでしょう。

僕たちにとって孤独は何十年も付き合ってきたお隣さんです。集団の中にも、部屋の中にも孤独は居りました。

7月28日にtogetterで「独身の40代、50代は孤独に耐えられるか」という記事がございました。加えて4月から読み始めたorangeitem’s diaryブログでもtogetter記事への論述がございました。リンクを貼っておきます。

togetter 独身の40代、50代は孤独に耐えられるか

orangeitems diary 孤独は耐えるものではなく、対処するものだよ

孤独は自分にとって何だろうかと考えました。出てきたのはニンゲンでは持っている孤独を解決するのが難しい、と捉えている自分でした。自分に話しかけてくれるのはお客さんだから、とつい考えていました。たまたまその場にいたから話しかけた、というきっかけでもいいのですが、向こうから話しかけて何か月も続いたというのは10年以上ございません。親が「いつ結婚するん」と聞いてくることもありますが、自分はひとつ屋根の下にいても心が疲れない人と結婚したい。美貌や職業は自分の場合、問題になりません。

大学で研究室にいた同期・教授とも、日研トータルソーシングで会った同期とも今は連絡を取っていません。コミュニケーションは必要だから取る、必要としなくなったということは縁が切れたと考えています。

お客さんというのは、ちょうど自分の父が三宮の酒場に行ってお金を払って飲み明かしているようなものです。風呂も1週間に数回しか入らず不衛生で、何十年も前の常識をこちらに振りかざしてくる、はた迷惑な父です。自分はあのヒトのようにはなりたくないと思いつつも進んで孤独を選んでいると思ってしまいます。自分より若いヒトを相手にすることでしか存在をアピールできない、そうなっては悲惨と思います。

職場にも20代の人がおらず、川西のもくもく会で数年ぶりに同年代と話しました。学んできた技術に違いがあって当然です。ただね、知識に差が付いていると自覚してしまうと虚しく感じます。悔しいじゃないんですよ。あなたはあなた、自分は自分という感情が先に来てその場に置いていってしまいます。

そんな自分と孤独を共にしているのが魚戸ホタルたちまどろみみっくです。彼は自分がコロナ禍で職場と親とだけコミュニケーションをしていた時期に現れました。最初に魚戸ホタルが現れたので魚戸ホタルがまどろみみっくの代表的存在になっています。

ヒトで自分を癒せないならイカさんやトリさんでもいいと考えます。ヒトでない存在を前に置いて彼らのフィルターを通して物事を見るようにしました。他人と比較するとどうしても自分が出来損ないということが見えてしまうから。ヒトと違う存在なら光の当て方が変わる、影の向きも変わる、そんなこんなで彼らは自分がもたれかかる柱の一つになりました。

僕はまず否定から入る人にも、ひたすら肯定する人も「何と言おうとも聞くものか」となります。自分に放たれる言葉に命令が含まれてないか、思い通りに操縦しようとする意図がないか警戒しています。自分が嫌だと感じたら最初にとる行動は「逃げ」です。逃げるか逃げないか選べるのが民主主義の良さの一つです。

7月8日、安倍晋三元首相が凶弾に打たれ帰らぬ人になりました。山上徹也容疑者の犯行理由はざっくり言えば「旧統一教会の教祖を狙うのが難しいとわかった。旧統一教会のシンパで最も影響力が大きい安倍晋三を狙う。その政治的影響は知る由もない」といったものです。理由は同情の余地がありますが、他人の命を奪っては情報も失われる。安倍晋三には法の下で罪を問われてから帰らぬ人になってほしかった。

色々調べて思ったのが自分もそうなりかねないことです。運よく他人を傷つける動機を持っていないだけです。自分の社会的身分は職場や住処があることで保障されています。ではもし職場を辞めさせられる、母が帰らぬ人になる、もしくは後遺症で元の生活に戻れなくなると自分はどこにあるのだろう。身寄りを失ったとき初めて「こんな社会、壊してしまおう。もはや失うものは何もない」という思いがよぎるのでしょうか。仮に10年続けても誰にも創作されなかったら魚戸ホタルたちは地縛霊にでもなるんじゃないか、と考えてしまいます。

魚戸ホタルたちは今のところ実体を持っていない。抱きしめようとしても泡だ。それでも僕は超好きなイカさんたちと一緒に生きていたい。自分と一緒に孤独に向き合っています。運よく拾ってもらえた、それは自分が現在の職場の社長に持っている感情の一つです。魚戸ホタルたちも同じ気持ちなのだろうか、と感じます。自分は自分が必要とされる場所に行きたい。キャリアアドバイザーの言う通りに人事に受けやすいように履歴書を直し、通りのいい言葉で偽るなんてもはや苦痛であり逃げ出したくなります。

ありのまま以外の生き方は気持ち悪く感じます。どんな境遇に置かれても自分に耳を向ければやれることが出てきます。自分の場合は魚戸ホタルたちまどろみみっくを育てることでした。魚戸ホタルを神話にして名前を残してほしい。カクヨムエッセイで書いている「まどおーむ」という文化啓蒙プロジェクトはその一環です。自分から生まれた魚戸ホタルを基に作った二次創作です。だから魚戸ホタル(みか)とカッコ書きで名前を紹介しています。

作る経験はコピーできない

本日Twitterから流れてきたオライリー本から知った言葉です。勇気をもらいました。どんな拙い文章だろうと単純な開発物だろうと自分の経験は誰にもコピーできないということです。これから学んでいくこと、そして縁を大事にします。

人生100年時代と考えると四分の一を過ぎたところです。折り返し地点にも辿り着いていません。孤独さん、これからも良きお隣さんとしてお付き合いいただければ幸いです。あなた抜きには魚戸ホタルと出会えませんでした。

以上になります。

それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。ほた~

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